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奉祝 紀元節 [今日は何の日]

愛してるよカズ―小児ガンと闘った母親と息子の愛の記録
著者:光武 綾
販売元:長崎文献社
発売日:2008-05
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「建国記念の日」二月十一日。
『日本書紀』に伝えられる神武天皇(即位された日に基づく)を中心とする建国創業の歴史をしのび、日本人として國を愛する心を養う。もともと紀元節という祝日である。

【主張】建国記念の日 神話が生きる国誇りたい
2010.2.11 02:54

新しい国づくりの地を東方に求め日向国を出た神日本磐余彦命(かむやまといわれひこのみこと)は、瀬戸内海を進んで難波、熊野へと至る。
 そして大和を平定すると橿原(奈良県)を都に定め、「天地四方に住むすべての者が、一つ屋根の下の大家族のように仲良く暮らそう」という理念に従って天下を治めることとなった。これが「日本書紀」に描かれた初代神武天皇の即位の物語である。
 明治の新政府は、天皇を中心とした近代国家の建設をめざし、神武即位の「2月11日」を紀元節と定めた。紀元節は先の大戦後に廃止させられたが昭和42年、「建国記念の日」として復活した。今年で44回目を迎える。
 世界を見渡してみても、大半の国々は植民地から独立した記念日や、革命の記念日をもって「建国の日」としている。血なまぐさい戦いと引き換えに国家が造りあげられ、王朝の興亡によって歴史は断絶している。日本のように連綿と歴史が続き、神話的な物語に基づいて国の誕生を祝うという例は、むしろ例外なのである。
 神話というのは、そっくり史実ではあり得ない。戦前のような、神格化された天皇に対する反省ももちろんある。しかし、記紀につづられた神話は、民族の生活や信仰、世界観が凝縮されたもので、単なる作り話ではない。
 そういった意味で、日本の「建国」からは、古代日本人のものの見方や国づくりに関する考え方を読み取ることができる。神話は民族の貴重な遺産なのである。
 戦後、多くの国民が建国を記念する日の復活を望み、政府も奉祝の記念式典を後援するなどしてきた。それも、日本の国づくりの歴史を通して、日本や日本人の生き方を考えようとしたからだ。
 ただ残念なことに、平成17年以降は、政府の主催や後援による記念式典が開かれていない。このままでは、国民の「建国」や「国の始まり」に対する意識は希薄化してしまうだろう。今後は、政府が率先して記念式典などを開催することを望みたい。
 建国当初の国家がそのまま現在につながり、神武天皇以来125代の長きにわたって皇統も継承されてきた。この歴史に、国民はもっと誇りを持ってよいのではないか。その誇りがひいては、日本の国を愛し、日本の伝統文化や国語を大切にする心を養うことにもつながるだろう。

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明治二十二年(皇紀弐千五百四拾九)の今日。大日本帝国憲法発布されました。
Wikipediaより
大日本帝国憲法(だいにほんていこくけんぽう、だいにっぽんていこくけんぽう、大日本帝國憲法)は、1889年(明治22年)2月11日に発布、1890年(明治23年)11月29日に施行された、近代立憲主義に基づく日本の憲法[1]。明治憲法、あるいは単に帝国憲法と呼ばれることも多い。現行の日本国憲法との対比で旧憲法とも呼ばれる。
1876年に公布されたオスマン帝国憲法に次いでアジアで2番目の近代憲法であり、安定的に運用された近代憲法としてはアジア初の近代憲法である[2]。憲法発布の勅語に「不磨ノ大典」とあったためか、1947年(昭和22年)の日本国憲法施行まで半世紀以上の間、一度も改正されることはなかった。





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